モットー

「学ぶ姿勢は一生の宝」

基礎学力重視! 自分にできることを見つけ、自信をつける!

鈴木 稔(すずき みのる)

略歴

東海大学理学部数学科卒

東京工業大学理工学研究科数学専攻中退

児童指導、大手個別指導塾主任講師を10年以上経験後独立

算数・数学専門家庭教師マスコンサルティング代表

算数・数学専門の家庭教師、教育コンサルタント

マスコンサルティング代表

実用数学技能検定1級取得

合格実績

中学受験

香蘭女学園、昭和女子大附属、横浜女学園 (特進)、国学院久我山 (ST) 、明治大学付属明治、広尾学園 (医進・サイエンスコース)

高校受験 

都立国立高校、都立駒場高、私立桜美林高校、私立法政大学附属高校、

大学受験

青山学院大学理工学部、日本大学文理学部、学芸大学教育学部

点数UP・成績UPの例

1学期期末39点から2学期中間72点 (中1男子)

3学期期末44点から、1学期中間84点 (中2男子)

2学期期末50点から、3学期中間75点 (中3女子)

公立カラーテスト10点から80点 (小2女子)

公立カラーテスト60点から100点 (小4女子)

模擬テスト34点から70点 (小3女子)

模擬テスト62点から84点 (小5女子)

1学期期末68点から2学期期末92点 (中1女子)

夏季模擬テスト70点から冬季模擬テスト96点 (中2女子)

1学期期末44点から2学期中間86点 (高1男子)

都立過去問60点から本番92点 (中3男子)

私立中学過去問42点から本番74点 (小6女子)

高校受験対策専用模擬テストで連続90点超え (中3男子)

何をしても30点台しか取れなかった数学定期テストで62点 (高2女子)

理系進学生向けの高難易度の定期テストで40点台から73点 (高1女子)

算数・数学の学び方の専門家鈴木稔の詳しいプロフィール

 

算数を得意にしたかった小学校時代

 小学5年生の春に、作文で「今年がんばりたいこと」を書く機会があったのですが、「苦手な算数を得意にしたいです」と書いたことを、私は今でも鮮明に覚えています。

 それまで「勉強が好き・嫌い」「苦手・得意」という感情は、特に持っていなかったのですが、そのときは自分で自分のことを「算数が苦手な子」だと、思い込んでいたのかもしれません。

 その作文を書いてから、私の頭の中には「算数のテストでは必ず100点を取る」という目標がありました。

 小学5年の1学期、はじめての算数のテストがあり、全部解き終わったとき、「これは満点だな」と思っていたのですが、テストが返ってきたとき、衝撃が走りました。

 結果は70点で、「え?何で?」と思い、答案を見てみたのですが、その原因がすぐに分かりました。

 「記号で答えなさい」と書いてある解答欄に、私は数字を書いてしまっていました。

 それから私は、「先生にも言われたから」ということもあったのかもしれないのですが「問題文は、解き終わった後にもう一度読むクセ」を付けました。

 他にも「かけ算の筆算は、上下で数をそろえる」「単位をつけ忘れない」などなど、気をつけないといけないことがたくさんありました。

 これらのことを実践してから、私は算数のテストでは、ほぼ毎回90点から100点を取ることができていました。

「5」を取るのは難しかった中学時代

 小学5、6年の間は、算数のテストでは毎回満点を取れていた記憶があります。

 しかし、中学に入ると、そうはいきませんでした。

 中間テストと期末テストで、それぞれテストを作る先生が違うと、簡単なときと難しいときがあり、「あの先生のときは良かったな・・・」と思うこともありました。

 当時、私も塾に通っていましたが、どんなに宿題がたくさん出ても必ず期限までに提出し、間違ったところは必ず直すという「超真面目な勉強スタイル」を貫いていたにもかかわらず、どの教科でも「テストで満点を取る」ということは、難しいことだと感じていました。

 記憶では、数学のテストで満点を取れたのは、中学2年のときだけでした。

 数学と英語は、どちらも「毎日コツコツ勉強して、何とか成績で4がつく」という程度でした。

 他の科目も、理科は「物理と化学」はできるけど、生物がよく分からないとか、歴史は覚えてもすぐ忘れてしまうなど、万能な中学生ではなかったことは確かです。

 今思い返してみても、周りはみな「勉強とスポーツどちらもできる」という人たちばかりだったので、どんなにテストで80点台、ときどき90点を取ったところで、成績で5がつくことは、中学生のうちは、ありませんでした。

高校受験の思い出

 そんな私も、中学3年の頃は当然のことながら、はじめて受験生を経験することとなります。

 どの高校を受験するかを考えたとき、まずそもそも「将来何をしたいのか」ということが、自分にとっては大事でした。

 当時は、エンジニアになりたいと思っていたこともあり、理工系の大学の附属校なども良いなと思っていました。

 そのような気持ちもありましたが、一方で、塾の先生や親の話を聞いていると、みな声を揃えて「高校時代は、人生で一番楽しいよ」と言っていたことが印象的でした。

 そんなこともあり、高校からいきなり人生を決めてしまうような進路は選ばず、普通科を目指し「とりあえず、無理せず勉強をがんばれるような環境」で、高校生活を送りたいと思うようになりました。

 志望した高校は、身内にも卒業生のいるところで「これから偏差値も知名度も上がっていくような予感のする高校」でした。

 「身内が受験した頃は、のんびりした高校だったけどね」という声もありましたが、逆にそんな声が、私に「高校生になりたい」という気持ちを作ってくれた気もします。

 中学3年の夏休みは、ほぼ毎日塾に通い、家に帰っても宿題があるような生活でしたが、不思議と苦ではありませんでした。

 しかし、夏が終わり、模試があったのですが、志望校の判定は、あまり期待のできるものではなかったのです。

 前回受けた模試に比べると、力は伸びてはいるものの、自分でも「どうしたら志望校の偏差値に届くのか」が分かりませんでした。

 そんな状態のまま、2学期はとりあえず、内申点の確保のために、中学の定期テスト対策にも、力を入れていました。

 志望校以外の高校も、どこを受ければ良いかを考えはじめていた時期でもありましたが、自分の中では、最初に志望した高校以外に、本気で行きたいところはありませんでした。

 あっという間に冬休みとなり、この頃になると、高校入試の問題などを解くことが多くなりました。

 最後の最後まで「これで大丈夫」と思うことは一度もなかったものの、「超真面目な勉強スタイル」が良かったのか、ずっと志望していた高校に、合格できたのです。

数学のことしか頭になかった高校時代

 幸いにも、高校は第一志望に合格することができました。

 もともとエンジニアになりたかったこともあり「勉強はしておかなくちゃな」という気持ちは、常にありました。

 特に、数学と英語と理科だけはがんばろうという気持ちだったと思います。

 ところが、そんな気持ちを根本から変える出会いが、私を待っていました。

 1年生の1学期最初の数学の授業で、教室に現れた「怖いけど面白い先生」との出会いです。

 その先生は、指し棒を持ちながら無言で教室に入ってきて、机にジュースなど置いてあろうものなら、すぐに撤去命令を下しました。

 元気な生徒であれば、男子女子に限らず、少しでも授業中に話しをしていたら、しばらく目をつけられた後、げんこつをされるという、今では賛否ありそうな先生でした。

 そんな先生でしたが、毎回授業で手作りのプリントを必ず配ってくれて、それをもとに講義が進んでいるのを見て「この先生数学好きなんだな」と、何か惹きつけられるものがありました。

 ある日の放課後、私は学食に一人残り、その先生が作ったプリントを眺めていたのですが、気になった問題があり、しばらく考えていると「こうすれば解ける」と理解できた瞬間がありました。

 その問題は、まだ授業では習っていないところで、どうやら次の授業で扱うところだったのですが、その先生の授業を受ける前に、予習ができてしまいました。

 そのようなことがあってから、実は高校で習う数学は、全て独学で、自分で問題集などを買って勉強していきました。

 だからといって、学校の授業を全く無視していたわけではなく、むしろ授業が楽しくて仕方なく、そのおかげで、クラスの人たちとも仲良くなれたことは間違いないと、今でも思っています。

 例の怖いけど面白い先生も、私のそんな姿に気付き、特別にプリントを用意して「お前ならできる」と言って渡して下さったことは、今でも忘れられません。

 高校生の頃の私は、数学だけは常に学年トップの、学年に必ず一人二人はいるような「数学好きの生徒」でした。

第一志望は落ちても、数学を学ぶ気持ちを持ち続けた

 例の数学の怖い先生以外にも、当時高校には面白い先生が多くおられました。

 先生と生徒が仲良いという印象はありました。

 私は高校1年のときからずっと、天文・物理系の部活に所属していたのですが、そこの顧問の先生にも3年間お世話になり、その先生は、高校3年次には私の担任にもなりました。

 部活という程、何か大それたことをしていたわけではなかったのですが、その先生とは常に、科学や数学の話をしていた記憶があります。

 高校3年のとき、春の個人面談で「みのる君、腐れ縁だね」と言われたことを、今でもはっきりと覚えていて「私もこの先生で良かった」と思い、進路のことを話しました。

 高校2年までは、物理学科なども考えていましたが、3年生のときは、数学を学びたいという考えしかありませんでした。

 というのも自分の中で、「いずれ何を勉強していくにしても、数学は必要だし、それに今は、数学そのものが、どんな世界観を持っているのかを知りたい」と思っていたからです。

 高校3年の1学期にはすでに、大学で学ぶ数学について調べていたりもして、完全独学で数学検定の準1級に合格できたこともあり、「大学は、どこかしら合格できる」という自信はできてきました。

 第一志望の大学はありましたが、私は「どこの大学に行くのか」ということよりも「数学を学ぶことを大事にしたい」という気持ちの方が強く、「何が何でもこの大学でないといけない」といった気持ちは、全くありませんでした。

 そうした考えのほかにも、当時から、大学院まで行くことは想定していたので、学生時代はアルバイトをして、学費は、出せるところは自分で出そうという思いもありました。

「自分は、難関大学に行くほど万能ではないけれど、数学を学びたいという気持ちを捨てきれない。難関大を目指すには予備校も良いかもしれないけれど、そのお金があったら、大学の学費に回したい」

 このような気持ちも抱えながら、難関の大学に行くというよりは、今の自分の学力に合った大学を選び、アルバイトもしながら、少しは学費を出せるくらいの方が、自分にとっては良いのではないかと思っていたのです。

 学力的に「数学だけはできる」という現実もありましたが、他の苦手教科をできるようにするためには、時間もお金もかかることは分かっていました。

 それならば、今できることを伸ばして、今できないことは「いずれできるようにしていけば良い」と、当時は考えていました。

 とりあえずの「第一志望校」はありましたが、その大学には受かることはなく、「この先生がいるから面白そう」という理由で決めた東海大学理学部数学科に、進学することになりました。

 大学に入ると、高校の時と同様に、常に数学のことを考えているような日々を送っていましたが、夜はほぼ毎日、接客などのアルバイトをしていました。

 といっても、塾の講師や家庭教師のアルバイトは、学生時代は一度もしたことがありませんでした。

 理由は、当時自分の中で、「塾の先生は、受験のテクニックなどを教える人」という、ある種偏見のようなものがあったこと、「自分が先生と呼ばれるのは違う気がする」と思っていたことから、「先生になりたい」とは思えなかったからです。

 数学を教えるよりも、まずは自分自身が「数学を理解できるようになりたい」と、常に思っていました。

数学の研究か?教育の現場か?

 数学一筋の私でしたが、大学2年生のときに、そんな私を少しだけ変えるきっかけがありました。

 身内の紹介で、小学生の放課後の学童保育でアルバイトをしてみないかという話が来たのです。

 先程「先生になりたいとは思えない」と書きましたが、子どもに関する教育学や、発達心理学などには、もともと興味がありました。

 理由はおそらく、「自分がここまで数学を得意になれたのは、小学生の頃に、算数を好きになったから」という一つの答に対して「ならば、算数を好きになるためには、もっと幼い頃に何が必要か」などと考えていたことも、あったからだと思うのです。

 このような考えからも、当時自分は「数学をできるようにするためには、小学校の教育はもちろん、それより以前に、何か大事なものがあるのではないか?」と思っていました。

 「子どもが、やがて数学をできるようになるためには、勉強面以外の場面で、どんなことを考えているのかなども、興味を持って知る必要はありそうだ」と考えていたことを思い出します。

 このような思いもあったことから、学童でアルバイトをしてみようという気持ちが、すぐに湧いてきたことを覚えています。

 そして、いざ学童でアルバイトをしてみると、予想していた通り、面白いと感じると同時に、自分の性格が子どもへの接し方にどのように影響するのかも、よく分かってきたのです。

 というのは、私は良くも悪くも、どちらかというと「怒れない人」でした。

 一度、子どもたち何人かが、楽しくなってきてしまったのか、一斉に、私をめがけて砂をかけてきたことがありました。

 それを見た他の職員は、その子たちに、当然ながら、かなりきつく怒っていましたが、私はそのとき、砂を浴びながら、怒るより前に「この子たちは、なぜこんなことをしたのだろう」という考えが、頭をよぎりました。

 「こういうときは、厳しく怒って良いからね。」と他の職員にも言われましたが、私の中には「厳しく言うだけで、その場は収まるかもしれないけれど、次からこの子たちは、何がどう悪かったのか、なぜしてはいけないのかが理解できるだろうか」「理解してもらうためには、どんな声をかけたら良いのだろう」というような、疑問しか湧いてきませんでした。

 疑問があると、納得できる答を見つけられるまで考えてしまうのは、自分の本来の性格だということも、このような経験から改めて知り、それと同時に、子どもを集団で指導するということの難しさを感じました。

 「やっぱり自分には、先生という職業は、ハードルが高すぎないか?」と、改めて思ったのでした。

 将来を見据えて、子どもの教育に関わることがあるかもしれないけれど、「今はまだどうしても、数学をもう少し学びたい」という気持ちがあったので、学童と他のアルバイトもしつつ、大学院の入試に向けて、空いた時間は全て勉強していました。

 大学院の入試対策として、まずは大学3年生までに習う基礎的な内容をもとにした練習問題と、あとは志望する大学院の過去問と他の大学院の過去問10年分以上を「解ける問題だけで良いので解く」ということをしていました。

 大学院の入試の過去問に関しては、大学院のホームページに「問題は載っていても、解答がない」という状態だったので、ノートに問題を解き、自分の考えが正しいか正しくないかを判断していく他に、正解の出しようがありませんでした。

 大学3年までに習う基礎的な問題だけでも100問、大学院の入試問題150問以上を解いたことが功を奏し、東京工業大学の大学院に合格することができたのです。

大学院進学をしたものの、研究したいことはなかった

 正直な話をすると、大学院に合格できたとき、私は「もうこれで、自分の数学の学力は、頂点に達してしまった」と感じました。

 高校生の頃は、本気で研究者になることも考えていましたが、研究を仕事とすることの難しさを大学の頃に感じはじめてから、大学院進学と同時に就職をどうするかという話になったとき、私は「普通の就職が無難そう」と思うようになり、そう思うと増々、数学への熱は冷めていきました。

 エンジニアになりたかったことなど、この頃にはすっかり忘れていました。

 大学院時代は、それまで数学に力を入れてきたことが嘘だったかのように、全く数学の勉強に力が入りませんでした。

 こんな状況を立て直そうと、私はもう一度「数学の面白さ」や「数学をしたいと思える理由」を探したものの、このときは結局、何も見つけられずにいたのですが、小学校の先生など、子どもの教育に関わる仕事に興味が出てきたことも確かでした。

    しかし、数学の先生になろうという気持ちは、ありませんでした。

 というのも、数学はもともと自分が「好きだからできること」なので、それをただ私が生徒に教えるというのは「どこか生徒に対して偉そうにしているだけなのではないか」といった思いもあったからです。

 数学への情熱をなくした私は、「数学から離れる」という決断をします。

 そのような決断をした私は、今まで積み上げてきたものを全て手放す覚悟のもと、大学院を中退し、それまでお世話になっていた学童のアルバイトから、正式に職員になりました。

学童で仕事をしながら、教育福祉職を目指した

 学童の職員は、今思えば、やって良かったと思えます。

 もっと言えば、この時期がなければ「自分の適性」が分からないままでいたのかもしれません。

 当時、私のいた学童は、子どもたちの人数も多く、子ども同士のトラブルは当然のこと、大人への暴言暴力も職員間の会議の議題に上ってしまうような、そんな環境下にありました。

 更に、特別支援学級の子どもも学童に来るというような状況で、職員間で「何をどう対応すれば良いのか」といった点においても、意見が食い違うことがしばしばありました。

 私はというと、いくらそれまでアルバイトをしていた身とはいえ、職員としては一番の後輩でしかなく、そのような状況の中で、誰を手本として仕事をすれば良いのかが、全く分かりませんでした。

 しかし、数学から離れ、「自分にできないこと、向いていないことでも、向くように努力する」と思っていた手前、今するべき仕事と向き合うしかありませんでした。

 ある日、先輩の職員の先生と私の3人で、ご飯に行く機会があり、そこで色々とお話させていただくことになりました。

 先輩の先生から「毎日子どもたちが来る前の準備ありがとう」と言われたのですが、段々と核心をつく話になりました。

 「いずれこういう仕事をして、先生になりたいの?」と聞かれ、私は「・・・そうですね。」と、迷いながら答えると、その先生は「みのるさんには、向かないと思う」と、きっぱり答えました。

 私もうすうす感じていたことではあるのですが、日々の自分の行動を振り返ると、そう言われても仕方がないなと思いました。

 まず私は、自分の思っていることを、あまり口には出せないタイプだったこともあり、他の職員とのコミュニケーションがうまくいかないことがありました。

 というのも、集団の中に自分がいると、どうしても他の人の考えを優先してしまうところが当時はあり、むしろそうした方が良いのではないかと思っていたのです。

 ご飯をご一緒した先輩の先生は、もう30年近く保育園などでも勤務してきた経験のある方だったので、色んな人を見てきたと思うのですが、私の性格などもお見通しだったのか「人間関係のストレスとかない?」と、私に聞いてきました。

 私は内心、「ストレスを抱えているのは、全て自分のせい。誰が悪いわけではない。ストレスを感じる自分がいけない」と思いながら、「いや、それは、問題ないと思います。」と、笑いながら答えました。

 勤務開始から1年近く経ったとき、他の職場への異動を命じられ、私は「これでまた、自分を変えられる」と思っていたのですが、良い方向には変わりませんでした。

 「何でそんなこともできないの?」「さっき言ったよね?」「こんなことされて困るんだけど」など、毎日のように、子どもたちの前で怒鳴り散らされ、私は体調を崩し、学童を去りました。

「塾講師」を経験するまで

 2011年の3月、学童の職員として働いた最後の職場で、東日本大震災を経験してから少し経った後、その職場を離れ、もう二度と、子どもの教育に関する仕事も、本格的な研究レベルの数学もやることはないだろうと思いつつ、知人の職場で仕事をはじめました。

 それと同時に、公務員試験の勉強をはじめます。

 公務員試験の内容は、どの公務員になるかにもよるのですが、どの試験でも「中学3年までの学習内容」を基本として、文章の読解力を試されるような問題も出題されることを知りました。

 実は、学童で働いていたときに、仲の良かった先輩の職員が、とある県の小学校の採用試験を受ける際に、私に「数学だけ教えてほしい」と言ってきたことがありました。

 そのおかげで、小学校の教員採用試験には、中学高校までに学習する内容のものが、全教科出題されることは知っていましたが、公務員試験も大体同じようなものだったのです。

 いざ勉強をはじめてみると、「今も昔も、数学とか理科は分かる」という癖が抜け切らないことを痛感しました。

 憲法のことなども勉強し、私には珍らしく社会系の科目で「何となく理解できた」という感覚もあったのですが、やはり数学や論理系の科目 (判断推理・数的推理という科目) は、「勉強していて面白い」という気持ちの方が強かったのです。

 私は東京都ではなく、全く別の県の役所を受けようと思い、知らない土地まで足を運んで、受験の書類などを提出した記憶があります。

 入試とは違い、同じ県や自治体を受けないのであれば、年間通してそれぞれ別の自治体を受けることができるので、受けられるところは受けたのですが、受験勉強をはじめてから半年の間、どこにも内定は得られずにいました。

 そんなとき、何かの拍子で「そう言えば、最近の大学の入試問題は、どんな感じなのだろうか」と思い、インターネットで、難関大の入試問題を調べてみました。

 すると、色んな問題が出てきたのですが、それらの問題を考え出したら、白紙だったルーズリーフはあっという間に、計算式でいっぱいになりました。

 大学入試レベルの数学からは、それまで全く遠ざかっていたにもかかわらず、私は初見の京都大学の入試問題を、時間はかかりましたが、その日のうちに解くことができました。

 このとき私は「本当は、まだまだ数学をやりたい気持ちはあるんだよな」という自分の思いと、自ら数学を捨てたことに対して、うしろめたさと「捨てた以上は、二度としてはいけない」などという呪縛にとらわれていたことに、気がつきました。

 公務員試験の勉強をしてはいたものの、「本当に公務員になりたいのだろうか」という疑問さえ湧いてきたのと同時に、せっかくまだまだ数学ができるのだから「もうこの際、まずはできることを仕事にしよう」と思い、大手の個別指導塾の採用試験を受けることにしました。

塾講師を始めて感じた「自分は人の役に立つ」という感覚

 2012年の5月、私は大手の個別指導塾の採用試験に合格し、研修期間を1か月ほど経験した後、早速一人の生徒を担当することになりました。

 研修期間は、教室長と共に模擬授業や指導方法の理論の実践を行い、授業のやり方だけではなく、生徒との会話の仕方などについても、基本から学びました。

 研修期間だけではなく、定期的に他校舎の同じ系列の塾に出向き、授業の仕方や生徒との向き合い方を学ぶ機会があったのですが、そこで私は「コーチングの面白さ」を知ることになります。

 コーチングというのは、相手に質問を投げかけて、相手の考えや思いを引き出し、質問に答えてくれたことを承認していくことで、相手の学力ややる気を引き出す指導手法のことです。

 これを知ったとき、私は「数学の指導法にぴったりだ」と思い、感動を覚えました。

 というのも、数学はどうしても「自分で考えて答を出す」という姿勢が大事になるのですが、「先生が教えすぎずに、生徒が答を出すように導く」という指導の在り方を、コーチングが可能にしたからです。

 ただ、こうした面白さを覚えるまでには、少し時間がかかりました。

 一番最初の研修のとき、模擬授業を行ったのですが、教室長からは「ちょっと暗いよ、鈴木先生」と言われ、私自身「自分はそもそも楽しい人ではないからな・・・」などと思い込んでいたりもしました。

 しかし、研修をしているうちに、あることに気が付きます。

 それは、「自分は聞き役が向いている」ということでした。

 自分が何かを語ることや、話をすることよりも「相手の話を聞いて、面白さを共有したりすることの方が楽しい」と思うようになっていったのです。

 必要に応じて、自分の話をする場面もありますが、私は研修やコーチングでの学びを通して「相手の良いところを見つける」ということの面白さを知っていくことになります。

 研修期間を経て、はじめて自分の担当生徒を持ちましたが、自分が一番最初にやった授業というのは、今でも鮮明に覚えています。

 最初に担当したのは、進学校に通う高校生の生徒さんだったのですが、数学が全く分からないということで、塾に来ていました。

 授業が終わった後、教室長がその生徒さんと話をしたらしいのですが、話が終わってから、私は呼び出されました。

 「鈴木先生、今日の授業、すごく良かったって、あの子言ってたよ」「鈴木先生が来てくれて良かった」

 このように教室長から声をかけられ、私は「自分も、自信を持って良いんだな」と思うことができました。

 それ以来、少しずつ担当生徒さんが増えていき、2013年からは「中学受験生」「高校受験生」「大学受験生」を同時に担当することになりました。

主任講師として再出発し、はじめての「中学受験合格者」を輩出

 2013年から4年間半は主任講師として、塾の業務のほぼ全てに携わり、授業だけではなく保護者面談、カリキュラム作りなどもしていました。

 おかげで、ほぼ毎日塾にいるような時期もありましたが、仕事が楽しくて仕方なかったのと同時に、私が塾講師を経て家庭教師という仕事をしていく上で、必要な多くのことを教えてくれた人との出会いがありました。

 それは、私が最初にお世話になった教室長の後任の方で、中学受験の塾で長い間仕事をしてきた方でした。

 後にこの方とは、終電近くまで語り合い、私に「そもそも勉強するとは何か」ということに、改めて気付かせてくれるような、一つのきっかけを与えてくれたのでした。

 このような出会いもあり、やがて公務員試験への熱は冷めていったのですが、実は「公務員試験と中学受験の入試問題は傾向が全く同じ」ということを知り、「公務員はもう受けないけれど、中学受験指導の役に立ちそうな経験ができた」と思いました。

 こうした経緯もあり、「算数・数学を幅広くこなせる講師になろう」と思ったのでした。

 主任講師となってからは、担当した授業時間は年間1000時間以上にものぼり、小学生から高校生まで200人以上の生徒を受け持ってきました。

 その中でも、2014年に中堅より少し上の女子中学校に合格できたNさんが、私にとっては印象的でした。

 Nさんは、もともと大手中学受験塾のNにいた生徒さんだったのですが、算数も国語も中学受験レベルの勉強となると、できたりできなかったりという状況にあったため、「5年生からは個別指導で受験を目指したい」ということで、私が2012年の冬から担当していたのでした。

 なぜNさんが印象に残っているかというと、Nさんは最初の授業で、問題が解けなくて、悔しくて泣いてしまったこと、そして何より「中学受験の指導が、自分にもできる」と思わせてくれた、一番最初の生徒さんだったからです。

 「ごめんなさい、私すごく悔しくて・・・」と言っているのを隣で間近で見て、慌ててハンカチを渡したのを覚えています。

 とにかく、明るい雰囲気の生徒さんで、できないことはできるようになりたいという気持ちが強い子でした。

    そんなNさんでしたが、授業で問題を解くことができても、模試では思うように点数が取れずにいた時期があり、私もどうすれば成績を上げられるのか分からずにいたのですが、例の後任の教室長 (以下Hさん) からの大きなヒントとアドバイスがありました。

 「問題集には、”このページでは比例の問題をやります”っていうことが、分かりやすく書いてあるけれど、テストでは “これは比例の問題です” って書いていないわけだよ。つまりテストでは、問題文を読んで 、どの問題が何の分野単元の問題なのかを、自分で決められないと、点数に結びつかない。」

 このアドバイスは、いわゆる「テスト対策とは何か」を理解する上でも重要な考え方で、今でも私の指導の中で活きている考え方の一つです。

 それまで私は、その日の授業中にテキストで扱う単元の問題は、その授業のうちにできるようにすることだけを考えていました。

 しかし、このアドバイスを聞いてから、必ず2週間に1回は、前に習ったことまで含めて、その子ができるようになった問題をランダムに出題して、「どれがどの単元の問題かを判断できる」という視点まで含めて、できるかどうかを見るようになりました。

 このような視点を取り入れてから、Nさん自身も模試で少しずつ点数が取れるようになってきて、入試直前は一緒に過去問を解いていました。

 入試直前の1月は、「お試し校」の受験先として、埼玉の中学を受験し、見事合格を果たしました。

 お試し校の入試問題と同じような問題が、本命の試験でも出るかもしれないからと、Nさんはテスト用紙を持ち帰ってきたのですが、私がどう解くのか分からない問題も、中にはありました。

 Nさんは不安だったのか、「先生ちゃんとして下さい」と私に言ってきたこともありましたが、私は何も気にすることはなく、入試前日まで、Nさんと向き合いました。

 やがて2014年2月2日に第1志望を受け、結果は残念ながら不合格ではあったのですが、第2志望の中堅より少し上の女子校に合格することができ、Nさんのお母様からも「鈴木先生に算数を教えてもらえて良かった」と、言っていただくことができました。

はじめての大学合格者

 2014年には、自分が担当した生徒さんの中から「初の中学受験合格者」が2名出たのと同時に、「初の高校受験合格者」も3名ほど出ました。

    もともとみな、数学が苦手な生徒さんだったのですが、まずは常日頃定期テスト対策を行ってきたことで、基礎的な力が身に付き、結果として、入試本番でも目標点数を取ることができました。

 引き続き主任講師として働き、多くの合格者を見届ける中、2016年には「はじめての大学合格者」が出ます。

 その生徒さんはIさんと言って、区内の超進学校に通っていました。

 Iさんは中学3年生だった2012年に、「とにかく数学の補習授業に引っかからないようにしたい」という動機のもと、塾に通いはじめました。

 2012年の12月に、私はⅠさんの体験授業を担当したのですが、そこでまず驚いたのは、Ⅰさんは中学3年生にもかかわらず、すでに、「本来は高校2年生で習う内容」の初歩を学んでいたのです。

 超進学校の授業は「進度も速く、学習内容も基本から発展まで一気に進む」ということを、このとき改めて知りました。

 学校から配られる問題集や冊子を見てみても、高校1年生のときには「高校2年生で習う基本から発展的な内容」を全て習得することを目的として、生徒さんに課題が与えられていることがすぐに分かりました。

 同様に、高校2年生のときには「高校3年生で習う基本と発展」を習得することを目的として、学校の授業は進みました。

 そんな状況の中でIさんは、自分一人ではどう勉強を進めて良いか分からなかった様子でしたが、問題を解いてもらうと、その日学校で習ってきたことは、自分でできていたのです。

 今までテスト前に「少し前に習った問題も復習していたかどうか」「提出義務のない課題もやっていたかどうか」を、Iさんに聞いてみたのですが、どちらもしていなかったということでした。

 なぜこれらのことを聞いてみたかというと、学校の定期テストは「テスト範囲」が周知されないといった状況だったのですが、テスト問題を見てみると、「前に習ったこと」の他に、提出しなくても良いけれど「やっておくと良いよと先生から言われた課題」からも、同じ問題かその類題が出ていたからです。

 私との授業では、その日習ったことの小テストの他にも「少し前に習ったこと」「提出義務はないけれどやると良いことがある課題」も、Ⅰさんはやることにしました。

 それが良かったのか、高校2年生のときには、補習に引っかかることは全くなくなり、それまでは考えていなかった「理系の進路」にも目を向けられるようになりました。

 そして2015年、Iさんは高校3年生となり、某国立大学理工学部の生命化学系の学科を第1志望として、受験勉強を本格化させていくことになりました。

 Iさんの場合、「学校が予備校」と言っても良いほど、学校の授業は大学受験に向けたカリキュラムで構成されており、その授業を真面目に受けるだけでも、有名大学にはどこかしら受かるのではないかという予感はしました。

 「学校の授業で習ったことの復習」にプラスして、私との授業では、夏期講習に入るまで「すべり止めの大学の過去問とその類題」を、主に解いていた記憶があります。

 夏期講習以降は、第1志望の過去問を20年分ほど解くことを繰り返していました。

 最後までIさんの中に、数学に苦手意識は残っており、Iさん自身も「国立は無理じゃないかな、もう勉強は良いよ」と、笑いながら話していましたが、私も共に笑いながら励まし合い、入試直前まで、Iさんと勉強してきたような感覚がありました。

 Iさんはついに、すべり止めであった難関私立大学の理工学部に合格しましたが、国立の大学は、残念ながら受かりませんでした。

 しかし、最後にお母様と塾に挨拶に来られ、「最初は補習が辛くて大変だったのですが、ここまで伸びるとは思ってもいませんでした。」と言って下さいました。

 このような経験を通して「自分の指導で、難関大の合格者が出たことによる自分への自信」「国立大には届かなかった悔しさ」の両方を味わい、私は「今度大学受験生を持ったら、必ず第一志望に導きたい」「もっと、指導方法を良くしたい」という気持ちが生まれました。

 この動機が、私に「家庭教師として独立してみよう」という思いを作ったのです。

普通の講師となり「独立」という選択

 2016年に、自分史上初の大学受験合格者を見届けてからも、塾ではたくさんの生徒さんを見ていましたが、2017年には「自分の担当した生徒さん全員が第1志望合格」を果たしました。

 この頃は「ものすごく勉強できる」という生徒さんばかりが、私の担当でした。

    一人は、もともと大手中学受験塾のSに通っていたものの、5年生からは自分のペースで勉強したいという動機で塾に来た、中学受験生の生徒さんでした。

 この生徒さんは、もともと理科が大好きな子で、どの教科も偏りなくできるような子でしたが、算数はもっと難しい問題をできるようにしていくこと、国語の記述問題をできるようにすることが課題でした。

 算数に関しては、与えられた問題を全て解いてしまい、こちらから解説することもありましたが、解説した後に、その問題よりも難しい問題に正解してしまうような場面が多々ありました。

 国語に関しても、記述問題は「必ず書くべきキーワード」を見つけるということを繰り返ししていたのですが、そのおかげで模試でも目標点数を取ることができました。

 もう一人、ものすごく勉強ができる高校受験の生徒さんがいたのですが、その生徒さんは受験直前、もうやることがないからと言って、日本全国の入試問題を、1年分全て解いてしまうような子でした。

 この2人は無事に、第1志望合格を果たします。

 「全員第1志望合格」が一つの契機となり、私は迷いなく「家庭教師として独立すること」を決意します。

 といっても、独立したい理由は、他にもありました。

 大きな理由は「自分が提供する学習指導サービスを、これからもより良いものにしていきたい」と思っていたことです。

 それまで自分は、幸いにも多くの合格者、多くの素敵な生徒さんと出会ってきたものの、それは「塾とそれに関わってきた室長や、他の講師のおかげ」でもあったのです。

 塾には良い問題集があって、何よりも良い室長、良い仲間講師がいて、みな助け合って、生徒さんと関わってきたという経緯があります。

 それは言い換えると、「自分一人だけの力では、何も成果は生み出せなかった」ということだと、私は気づきました。

 「これからは、この塾で学んできたことを財産に、更に良い家庭教師として活動していくためにも、自分の看板を掲げたい」という気持ちでいっぱいでした。

 私自身も数学の勉強を続け、2016年には「数学検定1級」を取得できたこともあり、とりあえず胸を張って「数学指導者」を名乗るにふさわしい土台を作ることができ、2017年に「マスコンサルティング」を開業し、最初のお客さんを獲得しました。

「あなたが来てから子どもの成績が落ちた」

 2017年、家庭教師として独立したとは言え、まだ塾にはお世話になっていました。

 ありがたいことに、「まだいてほしい」と言われたこと、何より「商売の厳しさ」を知っていたことから、完全に塾を去ろうとは思いませんでした。

 この頃には、主任講師の座を捨て、ヒラの講師として働き、まだ塾に残っている「自分が担当する受験生」は、そのまま継続して指導しました。

 一方で、家庭教師をはじめてから、私にできた最初の生徒さんがいました。

 私立の中学に通っている生徒さんとそのご家族から、「子どもが春から中学生になるので、数学の苦手意識をなくしてほしい」とのことで、私のところにお問合わせがありました。

 はじめて直接お問合わせがあったことを、私も嬉しく思いましたが、「指導を引き受けてからが勝負」と感じていました。

 それまで「塾という看板に目をつけて来てくれた生徒が、たまたま私の担当になっただけ」でしたが、今度は、直接私に指導の依頼がくるようになったのです。

 ご家族の方との面談も、体験授業の日程決めも、契約の面談も、何から何まで私一人が担当し、大事なことは全て私が決めなければなりません。

 私にできるサービスも、塾でしていたことが基本になっていましたが、自分独自のものを、常に追求していました。

 私の自宅事務所にある問題集をコピーして小テストを作り、その結果をもとに授業を進めていくことだけではなく、更に宿題のプリントも作成して渡し、メールなどで学校の授業の進捗などを確認するということも、毎回行っていました。

 授業後は必ずお母様と面談をして、「今日はこんなことができるようになりました」「これは難しい問題なので、また今度テストします」などなど、その日の授業の様子を、毎回報告していました。

 1学期は成績も良く、定期テストの点数も良かったのですが、2学期になってから、その生徒さんは急に学校で習う内容に難しさを感じはじめ、定期テストの点数も落ちていきました。

 その状況を見たお父様から連絡があり、「相談したいことがある」と言われ、自宅まで足を運んだのですが、そのお父様から言われたのは「あんたが来てから子どもの成績が落ちた」ということでした。

 話を聞くと「1学期は私も子どもの面倒を手取り足取り見ていたから成績も良かったけど、2学期からは子どもに任せていた。あなたからもよくできると家内から聞いていたのに、何でテストで点数取れないのですか?あなたが厳しくしないから、いけないと思うんです」ということでした。

 ここで私は、自分が今までしてきたことが役に立たなかったという虚しさしか感じませんでした。

 このときの面談では、私は「3学期のテスト対策はこうする」ということだけお伝えしました。

 自分が家庭教師をしていく中で、他のお客さんも増えはじめていきましたが、「このようなことを言ってくる人も、中にはいる。勉強になった。」ということだけ胸に秘め、私が最初に獲得した生徒さんは、そのまま他の塾に移っていきました。

「見直しの仕方」に着目したオリジナルの指導法の確立

 最初の生徒さんが去っていってから、私は自分の指導法とともに、「家庭学習で何をすべきか」「そもそも勉強するとはどういう意味を持つのか」を、考え直しました。

 というのも、家庭教師指導をはじめたことにより、塾で生徒さんを見ていたときよりも、もっと間近で、より詳しく「生徒さんが何を考えているのか」「算数・数学の力が伸びる子は、共通してどんな特徴があるのか」が分かるようになってきたからです。

 「先生が考えていること」と「生徒さんが考えていること」との間に違いが生まれてしまうことで、生徒さんは勉強が分からなくなってしまうという状況にあることは、塾で講師をはじめたときから、間違いないと確信できていました。

 だからこそ、コーチングによって質問を投げかけて、生徒さんの中にある知識や考え方を引き出し、それによって「勉強が理解できるようになるためのきっかけ作り」を行うことが、授業においては大切だと、常に思っていました。

 しかし、そうした会話のやり取りだけで成績が上がるわけではありません。

 成績を上げるために、他にどんな視点が必要だったかというと、まず一つ重要なのは「正しい見直しの仕方を知り、ミスを自分でなくす」ということでした。

 あるとき「中学に入ってから、定期テストで平均点も取れない」といったご相談が私のもとにあり、それをきっかけとして家庭教師指導を開始したご家庭がありました。

 定期テストの結果を見てみると、答が書いてあるのに間違っているところが多くあることに気づいた私は、その生徒さんに「見直ししてる?」と聞いたのですが、答えは「NO」でした。

 あとから分かったことですが、その生徒さんは「何をすることが見直しをすることなのか」が分からないという状況にありました。

 そういった状況だったことから、私は「問題の解き方をコーチングの手法を取り入れて解説する」ということだけではなく、問題の解き方と、解くプロセスにおいて「こんなことが合っているかどうかを確かめた」ということも同時に、「生徒さんが私に説明する」という場面を、必ず授業の中に取り入れました。

 それをすることで、この生徒さんは、中間テストで30点台しか取れなかったところ、期末テストでは70点取ることができました。

 このような事例は他にもあり、小学生の生徒さんがテストで50点ほどしか取れなかったのが、見直しの仕方を身に付け、100点を取れるようになったということもありました。

 私に影響を与えた塾の教室長だったHさんはよく「ケアレスミスなどない」とよく言っていましたが、私はその真意を常に追い求めていました。

 家庭教師指導によって、より間近で生徒さんを見てきたことで、その真意が分かってきたのですが、それは生徒さん自身、「合っているかどうかを確かめる方法」を知らないことで、見直しができていない状態になってしまい、「大人から見ると、生徒はミスをしているように見えるだけ」ということでした。

 このことに気付いた私は、どんな問題を解く際に、どういったところを、どのような方法で「合っているかどうかを確かめていけば良いのか」を、生徒さんと一緒に考えて、ミスをなくしていくサポートをするという指導手法を確立しました。

塾を去ろうとしたときに出会った生徒さん

 見直しの仕方の他にも、「テストの出題傾向を分析し、汎用性の高い考え方を身に付けること」などの指導法を確立していくにつれて、それまでお世話になっていた個別指導塾は、退職しようと考えていました。

 家庭教師として、様々なご家庭の生徒さんの指導をはじめて2年ほど経った頃、当時塾の教室長だったHさんも、ついに他の職場への異動が決まり、私も完全な独り立ちをする時期となったと、そのときは思っていました。

 ところが、Hさんが去ってからすぐに、私はある一人の生徒さんを見ることになったのですが、初回の授業終わりに、その生徒さんが「また鈴木先生が良い」と言ってくれたことがきっかけで、私の気持ちは、少しだけ変わりました。

 その生徒さんは、毎回授業がはじまる前に自習にきてくれて、その日のことなどを、楽しそうに話してくれるような子でした。

 本当に毎週楽しそうに塾に来ているだけではなく、テストの点数も上がってきているのを見て、「自分は、もうすぐここを離れるだろうけれど、いる間は、もう少しこの生徒さんのことを見ていたい」と思う反面、「独り立ちしなければ」と強く思う気持ちもありました。

 そのような気持ちを抱えながら、その生徒さんを担当して半年ほど経ったとき、私はその生徒さんから「先生は、まだこの塾にいるの?」と聞かれました。

 私は正直、「まだ絶対にいる」とは言えず、「いるけれど、来年にはもしかしたら・・・」と言ったとき、「まだいて下さいね」と、その生徒さんから言われました。

 それまで私は、生徒さんや保護者の方から直接、嬉しい言葉をいただくことはありましたが、このときの言葉は、私の中で忘れられないものになりました。

 それから私は「こんな私に、どうしてここまで言ってくれるのだろう」「ここまで言ってくれる人に、何ができるかな」と思うようになりました。

 やがて2020年を迎え、世間がコロナ一色となり、家庭教師指導も休業になったり、オンラインの授業になったりということがあり、塾も1か月ほど休業となった時期がありました。

 休業から明けたとき、私はまた生徒さんに会うことができ、授業ができる喜びを感じましたが、それと同時に、「まだもう少し塾には残っていよう」と思いました。

家庭教師指導を開始してから初の中学受験合格者

 コロナになってしまうおよそ1年前に、中学受験を考えているんだけれども、算数が全くできなくて困っているという方からご相談がありました。

 当時小学5年生の生徒さんだったのですが、集団塾に通っているものの、算数の成績が全く上がらないという状況でした。

 具体的には、偏差値は40代前後、中学受験算数に必要な基本的な考え方も、ほとんど身についていないという状態だったのです。

 最初の面談で、その生徒さんがどの中学を目指しているかという話になったのですが、神奈川県で最も偏差値の高い中学のうちの一校に、本当は入りたいと思っているということでした。

 お父様とお母様も交えての面談の中、「もう、今からだと難しいですよね」「志望校は変えないと、もうだめな気がします」と言われましたが、私からは「今年の夏までに、どの程度成績が上がるかを見て、その上でチャレンジ校を決めていく」という提案をしました。

 この生徒さんは、小学5年生の12月から指導を開始したのですが、まずは「中学受験専門の集団塾で、小学4年生が習う算数の内容」を授業で扱い、それができるようになってきたら、「小学5年生が習う内容」へと、学習内容を移行することにしました。

 そもそも中学受験の集団塾で「小学4年生が習う内容」自体が、「小学6年生までの学習内容の先取りとその応用」で構成されているのですが、指導開始後4か月間ほどは、そのような内容の全てを2回ほど繰り返しました。

 「小学5年生が習う内容」に移行しても、今まで習ってきたことを宿題でも出し、小テストなども行ってきましたが、指導開始から5か月ほど経ったとき、生徒さん本人とお母様からも、「何となくできてきた感じがします。」と言っていただきました。

 それまで授業のときは、ほとんど話すことがなかった生徒さんも、できるようになってきてからは、自分の好きなことなどを楽しそうに話してくれるようになり、同時に宿題の正答率も高くなっていきました。

 それまで算数の模試で、偏差値が50を超えることもなかったのですが、夏明けの模試では偏差値が63にまで上がり、本人もとても嬉しそうにしてくれました。

 第1志望校は最初に考えていたところよりも、少しだけ偏差値を下げた学校を考えるようになりましたが、それでも最後まで勉強し続けました。

 第1志望には届かなかったものの、第2志望の学校は特待生として合格でき、過去問をはじめて解いたときは34点しか取れなかったところを、本番では74点も取ることができました。

 指導期間中は、受験勉強のことを心配されていたお父様も、「もっと早く鈴木先生に会いたかった」「算数は本当に鈴木先生がいなかったらできないままだった」とおっしゃって下さり、合格をとても喜んで下さいました。

 この生徒さんは、小学5年生の12月からは、算数は私と一緒に学び、国語は別の個別指導塾に行き、大手塾さんの映像授業のサービスも受けていましたが、ご家庭全体で一緒に受験を乗り超えてきたという実感を、私も持つことができました。

 家庭教師として独立してから、初の中学受験生でしたが、この生徒さんの指導にあたり、「中学受験の算数の理解に必要な基礎とは何か」「その基礎をどうすれば身に付けられるのか」を知ることができました。

 同時に、中学受験生を担当する家庭教師は、ご家庭の方のお声を聴き、課題となっていることを見つけ出して、こちらからのアドバイスのもとに、生徒さんが「できるようになってきたこと」を「親御さんが生徒さんと一緒に喜ぶ場面」を提供することも大事だと感じました。

 この経験をきっかけとして、私は中学受験の指導にも力を入れていこうと決意します。

難関中学、難関高校受験に向けて

 初の中学受験合格者が出てすぐ、世間はコロナになってしまい、私の授業もオンラインになってしまった時期がありましたが、時期を同じくして、難関中学と難関高校の受験を目指している生徒さん2人を、私は同時期に担当していました。

 これらの生徒さんは、コロナの時期であっても、必ず対面での授業をお願いされていました。

 1人は、小学4年生になると同時に、大手の中学受験の集団塾に通い、小学4年の夏から算数を主な科目として、私が家庭教師指導をしていました。

 もう1人は、中学1年生の頃から見てきた公立中学の生徒さんで、ずっと「いずれは難関の高校に挑戦したい」と言っていました。

 2人とも受験直前は、過去問など難しい問題を解く練習をしてはいましたが、受験対策を本格化させるまでは、「基礎から標準的な問題を100%得点できる力」を身に付けることしか、授業でしていなかったことが共通しています。

 中学受験の集団塾からは、毎週のように大量の宿題が出ており、お母様からは「何を優先させれば良いでしょうか」とのご相談も多かったのですが、私は一貫して「基本的な問題とその類題」を日々の家庭学習に取り入れることをお伝えし、実際にできるようになっているかどうかを、テストしてみたりもしました。

 こうした指導の他にも、小学4、5年生の間は、とにかく「勉強を嫌いにならないこと」を最優先にするためにも「家庭学習では、一人でできないことはしない」ということを徹底していました。

 この中学受験の生徒さんのご家庭も、受験勉強に協力して下さり、親御さんが勉強を教えるとかではなく、生徒さんが宿題を気持ちよくできるような環境作りや声かけなどをして下さいました。

 一方で中学受験の場合とは対照的に、高校受験を目指していた生徒さんは、受験対策に入るまでは、私の家庭教師指導のみで勉強していたこともあり、お母様からは「宿題を多く出してほしい」とのご相談を受けていました。

 私は毎回、まずは基本的な問題に加えて、前に習った単元の標準的な問題を宿題として出していたのですが、このような学習スタイルを繰り返していくことで、外部の会場で受けた模試で、高得点を取れるようになっていきました。

 受験を間近に控えるようになり、生徒さんの中で不安な気持ちもあったとは思うのですが、そのような表情はほとんど見せることはなく、毎回笑顔で私を迎え入れてくれたことが、私には印象的でした。

 ご家庭の方からも「何とかなると思います」など、明るい言葉をいただき、私も生徒さんと共に、最後まで勉強と向き合うことができました。

 結果として、2人とも第1志望の中学・高校に合格でき、私は難関校を目指す指導に大事なのは「基礎学力」「一緒に楽しく学ぶこと」「励まし合うこと」だと確信しました。

 家庭教師をはじめてから4年間で、自分のオリジナルの指導法を確立しつつある中で、難関校に合格できた生徒さんに出会えたことを嬉しく思い、「これからも色んな人の役に立ちたい」と感じる一方で、「指導法の中でもう少し改善できるポイント」なども、これからも見つけていこうと考えていました。

大事な生徒さんとの間にあった衝撃の別れ

 「指導方法の確立」「中高受験の合格者」「ご家庭からの嬉しい声」など、私が「良い家庭教師に必要なもの」だと思ってきたことを獲得できるようになってきたことで、私は今後も、自信を持ってこの仕事をして良いのだと思いました。

 そうした思いを抱えながらも、私はまだ、とある一人の生徒さんの力になりたいという思いから、ずっとお世話になっていた個別指導塾には残っていました。

 その生徒さんとは、私に「まだ塾にいて下さいね」と言ってくれた生徒さんです。

 私が家庭教師をしていることは、当然その生徒さんには言っておらず、受験はまだ先の話だけれども「自分は、この生徒さんの受験期にいるだろうか」「いつまでこの生徒さんを見ていられるだろう」と、ずっと思っていたものでした。

 世間がコロナになってしまってからの1年間、コロナがどうなっていくのかという心配も最初はありましたが、この生徒さんと楽しく授業できたことで、コロナのことなど忘れ、一緒に勉強できた時間は、私にとって大事なものになりました。

 毎回塾には楽しそうに来てくれて、勉強も前向きに取り組むところを見ていると、私も幸せではあったのですが、その時は突然やってきました。

 その生徒さんは、私を含めて、色んな人が悲しむような衝撃的な理由で、塾を去りました。

 当時、私は自分の身に何が起きているのか分からず、どうすれば良いのかさえも分からず、一人で頭を抱えました。

 ちょうど、中学受験も高校受験も終わり、私は気分的にも本当に嬉しく思っていたときだったのですが、この件を目の当たりにして、天国と地獄を同時に味わいました。

 他にも様々、私は生徒さんを担当していましたが、仕事の帰り道は、どうしてもその生徒さんのことが頭から離れませんでした。

 「いずれは、あの子も塾を卒業するときがきただろうけど、どうしてこんな別れ方をしなければいけなかったのか」

 「こんなことになるなら、自分も早く塾からいなくなれば良かった」

 「今までありがとうも、さようならも伝えていないのに」

 こんな思いばかり、一時は抱えてしまうようになりました。

衝撃の別れから立ち直ることを目指して

 正直な話、私はこの辛く悲しい体験をしてしまったことで、家庭教師として生きていくことを終わりにしようかと、本気で考えました。

 塾講師を経て家庭教師として独立し、生徒さんからも嬉しい言葉をもらえるようにまでなってきたことを考えると、「もう、十分色んなことしてきたな」とさえも、思えてきたのです。

 本当は、私はみんなに喜んでもらいたくてこの仕事をしているのに、私を含め多くの人が、あんなに悲しく辛い思いをしてしまったことに、ただひたすら悲観的になるしかありませんでした。

 このような気持ちの中、他の生徒さんの指導にもあたっていましたが、内心「このまま先生をしていて良いのだろうか」「これ以上続けていく意味はあるだろうか」という気持ちばかりが浮かんできました。

 こんな状態が長く続いてしまっていたのですが、私はあるとき、ふと思います。

 「このまま何もかも捨ててしまったら、あの生徒さんのせいでこうなったという言い訳しか残らない」

 私はこのことに気付き、少しづつでも立ち直ろうと、考え方や思いを変えていこうとしました。

 「もう一度、本当は、自分は何がしたくてこの仕事をはじめたのか、思い出してみないか」

 このように自分に問いかけたとき、今まで自分を応援してくれた人や、算数・数学を克服して喜んでくれた人、生徒さんとの楽しかった思い出が浮かんできました。

正しい考え方・勉強法を、もっと知ってほしい

 今までさまざまな生徒さんを見てきて思ったのは、算数・数学に苦手意識がある人は、「正しいものの考え方・勉強の仕方を、そもそも知らない」ということが共通しているということです。

 最初はみなさん「こんなことができなくて困っています」と言って、私のところに来てくれるのですが、人それぞれ、何かしら「今の自分にできること」はあるのです。

 「今の自分にできること」をまずは見つけて、そこから「今後何ができるようになるのか」を、生徒さんと一緒に考えていくこと、そして、実際にそれを生徒さんが「できるようになること」こそが、私にとっては嬉しいことなのです。

 大事な生徒さんとの間に、とても悲しい出来事はありましたが、そのことをきっかけに「自分は本当に、この仕事をこれからもしていきたいと思っているのか」「もし思っているとしたら、その理由は何か」という問いかけを、私は自分に投げかけてきました。

 同時に、長く家庭教師をしてきた中で、「鈴木先生に教えてもらって良かった」という声をいただいたことは大きく、なぜそのような声をもらえるまでに、自分が成長できたのかを振り返りました。

 一つの答えとして見つかったのは、「自分が今まで勉強してきた方法やものの考え方、それらの身に付け方を体系化して、さらにそれを多くの生徒さんに実行してもらえるようになったから」ということです。

 それはつまり、自分が今まで勉強してきたこと、うまくいったことを、私自身だけのものではなく、多くの生徒さんと共有できたものだったということに、私は気づいたのです。

これしかできないからこそ、ずっと大事に

 家庭教師を生業として生きていくことがなかったら、他に何をしていたかを考えたときに、私は他に選択肢を見つけられませんでした。

 一時期数学から完全に離れて、学童の仕事からスタートしたときに、「自分はこれだけ数学ができるのだから、何だってできる」と、大きな勘違いをしていたことを思い出します。

 結果として、ほとんど役に立つこともなく、最後は他の職員の足をひっぱるようなことしかできず、退職してしまったこと、次に少しだけの期間、知人の職場にいたときにも、特に何の成果も出せずに、ただ言われたことだけしかできなかったことを振り返っても、「自分は、数学に関すること以外は何もできない」と今でも思います。

 しかし逆に「鈴木先生の授業良かったよ」「おかげで算数ができるようになりました」「また鈴木先生が良い」と言ってもらえたこと、実際に合格者を見届けられたことを振り返ると、「自分は、算数や数学を得意にしていきたいと思っている人の力になれる」と、思うことができます。

    こう思えるのは、突然別れることになってしまった生徒さんがいたことで、この仕事を続けようか迷ったものの、「本当は、自分は何がしたいのか」「なぜそれがしたいのか」を振り返るきっかけができたことも、間違いなく関係しています。

 「これしかできない」と思うのと同時に、算数・数学の家庭教師という仕事を通じて「算数・数学を得意にしたいと思う人がいる限り、その人と一緒に、最後まで勉強していきたい」と、心の底から思えます。

「自ら学ぶ」という本当の意味を追って、喜びを共有し、「自分と自分のまわりの人の幸せ」を創っていきたい

 中学受験のカリキュラム、現在の数学教育のカリキュラムなどを見ていると、学ぶことも多く、なおかつ難しいことを短期間で習得させることを目的としている側面があることから、「生徒自ら、何か面白いことを見つけて、自分で解決できるようにしていく」ということが、困難な場合の方が多いのではないかと思います。

 それはつまり、「自ら学ぶ」という本当の意味を、学生のうちに知る機会が少ないということでもあります。

 実際に、今もし自分が小学生だったら、周りの影響で中学受験はしていたかもしれないですが、果たして「算数が好きになっていたか、得意科目だと言えたかどうか」は疑問です。

 今自分が高校生だったとしても「あの頃の自分と同じように、数学のことばかり考えているような高校生になっていたかどうか」は不明です。

 なぜこのような考え方になるかというと、おそらく昔からではあると思うのですが、特に現代では「勉強させられている」という感覚の方が、どうしても強い人は多いのではないかと思うからです。

 その証拠に、高校生まで必死に受験勉強したら、大学では全く勉強しなくなるという話が後を絶ちません。

 その結果は、「自ら疑問を持ち、問題を見つけ、解決する」という力を獲得できずに、一生を過ごすということにもつながってしまうのではないかと、私は思います。

 私は、自身の経験から「数学を学び続けて良かった」と感じます。

 小学生の頃、算数を好きになることができて、今でもなお暇を見つけて、数学の本を読んだり、実際に問題を解いていますが、それが結果としてまた、「誰かの受験合格」であるとか「算数・数学の苦手克服」という一つの「幸せ」に貢献できていると、私は自信を持って言えます。

 このように「何かを好きになり、ずっとやり続けることは、それだけで人の幸せにつながる」ということは、間違いなく言えるのではないかと思います。

 このような背景から、「勉強は、させられるものではなく、自らするもの」だという基本的な考え方を、私は捨てられません。

 しかしもし、「算数ができなくて困っている」「数学さえもう少しできたら」と思っている人がいれば、「自ら学ぶ」ということができるようになるために、私は一緒になって、そういった人たちの力になりたいと思っています。

最後に一言 

 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

 私自身の経験や、家庭教師になった経緯を書くにあたり、どうしても「先生」という言葉を使わないといけない場面がありましたが、本音をいうと、私は今でも自分は「先生と呼ばれるほどの身分ではない」と思っています。

 「算数・数学の知見」に限って言えば、「知らない人よりかは、少しだけ知っている」という状態かもしれませんが、そもそも私より数学ができる人はいくらでもいます。

 生徒さんは、数学に苦手意識を持って、相談にきてくれたりもしますが、数学以外のことを、私よりも生徒さんの方がずっと詳しく知っているなどということは、珍しくありません。

 だからこそ私は、これからも学び続けていきたいですし、生徒さんとは常に、お互いに学び合えるという意味で「対等な関係」であると思うのです。

 私のポジションは、「クラスで一番算数・数学ができる人の代わり」という表現が、一番合っている気がします。

 社会的な立場で言えば、「プロの家庭教師」という誇りを持って仕事をすることが私の役目ですが、生徒さんには「算数・数学の学年トップの鈴木さんと勉強している」くらいの気持ちで、楽しく学んでもらえるような環境を、私は提供していきます。

 これからも私は、「共に学び、人の幸せのお手伝い」ができればと思います。