算数の問題を「自分で考えられるようになるために必要なこと」

こんにちは。算数・数学プロ家庭教師の鈴木稔です。

今日は、算数の問題を解き、「正解を出すために必要な思考プロセス」において大事なことを、一つ一つお伝えしていきます。

算数・数学の問題を正解できるようにするためには、問題文の読み方を学ぶことや、受け入れることができた「ものの見方・考え方」をアウトプットする場面が必須であることなどを、他の記事でもお伝えしてきました。

そうしたことは、全て「算数の学び方の基本」とも言えますので、以下の記事に「基本の身に付け方」として、具体的に何をすれば良いのかを解説しております。

https://sugaku1bann.com/2021/12/14/kihonnnominitukekata/

特に、はじめて見る例題とその類題を正解できるようにするためのプロセスにおいては、以下の4つのポイントが大切です。

・その例題の解説に対して「この問題を解くにあたり、こんな考え方やものの見方を使うことは正しいのかどうか」を疑問に持つこと

・その疑問に対して、以前習った知識や考え方を思い出して「正しいと判断できる理由」を見つけること

・その理由の中から「正解を導くことができるきっかけ」を見出し、以前解いた問題の解き方と比較して「どの問題の正解を出す際にも出てくる共通するポイント (きっかけ) 」に気づくこと

・「どの問題の正解を出す際にも出てくる共通のポイント」を、また更に類題を解くときに「考え方」として採用し、その「考え方」をマネして使って類題の正解を出すこと

このように、例題の類題や、他の問題を解く際に、「この問題を解くにあたり、こうした考え方を使うことは、正しいのかどうか」を判断できると、解ける問題の種類を増やすことが期待できます。

ところが、さまざまなお子さんと関わってきて分かったことは、「正しいかどうかをどう判断すれば良いのかが分からない」と思っているお子さんが、多くいることです。

私からお子さんに、「この計算結果は合ってる?」「その考え方は正しい?」などと聴いてみると、「正しいかどうか分からない!」「合ってるかどうかって、どう確かめるの?」という声が返ってくることも多いのです。

この記事では主に、「自分が考えていることが正しいかどうか」「教科書や問題集に載っている解説などの説明書きが正しいかどうか」を判断できるようにするにはどうすれば良いのかについて、お伝えしていきます。

そもそもなぜ正しいかどうか分からなくなるのか?

まずはじめに、問題の解説にしても、自分が考えていることにしても、なぜ「正しいかどうか」が分からなくなるのかについて、考察していきたいと思います。

この疑問に対する答は意外と簡単で、「何をすれば正解できたのかを思い出せていないから」ということになります。

これからお話することは、極端な例ではありますが、前に習ったことはもちろん、「何をすれば〇が付いたのか?」を思い出す思考プロセスが、いわゆる正誤判断につながるということを示す一例です。

例えば、円の面積を求める問題を解くときに、「円の面積を求める公式を覚えて、その公式を使って問題を解く」というプロセスを経ずに、「どうやったら円の面積を求められるのか?」を本気で考えていた生徒さんがいました。

とある生徒さんの授業があったときに、その生徒さんに対しては、前回の授業で円の面積を求める公式を扱っており、宿題でも「円の面積を公式を使って求める問題」を出していたので、面積を求める問題を解かせてみました。

解いてもらう問題は、宿題として出ていた問題の類題なので、計算をどこかしらで間違ってしまうことはあるかもしれないけれども、式はすぐに立ててくれると期待していました。

しかし、いざ問題に取りかかってみると、全く手が動かないのです。

「今何考えてるの?」と聞くと、「円の面積を求めようとしています」との答が返てきました。

「円の面積って、どうやって求めるの?」と聞くと、「今それを考えています」との答が返ってきたのです。

まさかと思って、私はさらに「その円をどうするつもり?」と聞くと、こんな答が返ってきたのです。

「この円をバラバラにしてみたりは、できないですよね?」

私はこのとき、「この生徒さんは、確かに円の面積を求めようとしている。しかし、円の面積を求める公式を思い出して、それを使って解こうとはしていない」ということに気が付きました。

このことに気が付いた私は、生徒さんとこんな会話をしながら、授業を進めていきました。

私「円の面積を求めるときに、円をバラバラにすることとか考えた?」

生徒「えーっと、考えてなかった気がする」

私「どんなことを考えると円の面積って求められたっけ?」

生徒「えー、何かあったかな」

私「なにか、使う式なかった?」

生徒「あー、半径×3.14」

私「うん、何か足りない」

生徒「・・・、半径×半径×3.14」

私「そうだったね。円の面積を求めるとき、円をバラバラにしたりして、答が〇になってた?」

生徒「いや、なってなかった」

私「どうすれば〇がもらえた?」

生徒「式 (公式) を計算して答を出せば〇になった」

私「そうだったよね」

こうした会話を経て、その生徒さんには、円の面積を求めるとき「公式を使うことで正解できた場面」を思い出してもらうことで、「円の面積を求めるときは、公式に頼るのが正しい」ということを受け入れてもらえました。

自分が考えていることが正しいかどうか分からなくなる理由

生徒さんにあとで話を聴いてみると、「答を見ただけ」というような、宿題のやり方にも問題があったせいで、前の授業で習ったことを忘れてしまい、次の授業でテストをしても、できなかったということが考えられます。

ところが、会話の流れから、円の面積を求める公式は、不完全な形ではあったものの、何かしら覚えていた部分もあったのです。

そこで問題になるのが、なぜ円の面積を求める際に「公式を使う」という考えが浮かばなかったのかということなのですが、実はここにこそ「何をすれば正解できたのか?」を考えることの大切さを理解するヒントがあります。

円の面積を求めるにあたり、確かに「円の面積を求めようと考えてくれている場面」はありました。

しかし、その際に生徒さんの中で「こんなことを考えると正解を出せた (この例では円の面積を求める公式を使うと正解が出たこと) 」といった前例を思い出す場面はなかったと考えられます。

そしてそのことが原因で、結果として公式をアウトプットしようとする場面がなかったのです。

「こんなことを考えると正解を出せた」という前例を思い出す行為は、それだけで「自分が考えたことが正しかった」ということを正当化させることにつながります。

逆に、こうしたことが意識できていないと、「自分が考えていることが正しいかどうか分からない」という気持ちがでてきます。

「自分の考えが正しいのかどうかを判断すること」は、算数・数学の問題を解き、正解を出すプロセスにおいては、「過去にどう考えて問題と向き合いさえすれば正解できたのか?」を思い出すことそのものであると言えます。

問題の解説が理解できない理由

「考えていることが合っているか分からない」といった声がある一方で、「問題の解説が分からない」という生徒さんが多くいます。

お話を聴いていくと、主にこれら二つの理由から、解説が分からなくなっていることが多いです。

・「解説に書いてあることが正しいかどうか」を判断できていないということ

・解説の中で与えられた式や図を見て、「その見方・捉え方をするからこそ、この考え方につながり、こうした解説になる」ということに気付けない、あるいは「見方・捉え方そのもの」を知らない

もっと具体的にいうと、解説文の一行目を読み、「なぜこうしたアプローチをとって問題を解くのか」といった疑問を持ててさえいないこともあります。

仮にそうした疑問を持てていたとしても、「この問題を解いていく過程で、まずはこれを求めたいがために、このアプローチをとる」というような、自分にとって納得できる一つの答を与えられていないのです。

それはつまり、問題の解説を読む際に、「ここでこんなことを考えるのは正しいかどうか?」を、自ら判断できるようになることに、課題が残っています。

そうしたことに課題が残る理由の一つに、話が戻りますが、「前に似た問題を解いたときはどう考えたのか?」を思い出しながら、問題と向き合えていないということが、まず間違いなくあります。

また、そもそも問題を解く際に、「この問題では✖✖という条件があって、●●を求めなさいと言われているから、あのとき解いた問題に似ている」といった認識を持てていないことも考えられます。

それはつまるところ、「考え方を身につけるためにある基本例題やその類題」を解いた経験が足りないということに、どうしても帰着されます。

「どう考えて答を出せば〇をもらえたのか」を思い出すことが大切!

よく言われるのが、「なぜ間違ったのかを考えて、それを正していくことが大切である」ということなのですが、これは実は「算数・数学が得意だと思えている人」にあてはまる考え方です。

そもそも算数・数学が苦手で、ほとんどテストでも点数がとれないお子さんにとっては、「何が正しいことなのか判断できない」という思いを持っていることも多いです。

そうした状況下で、何が正しいのかが分からないまま、間違えたところを見つけるということ自体が難しい場合があります。

私が生徒さんの「自分の考えが合っているかどうか分からない」という声や、「解説に書いてあることが分からない」という声を聴いてきた中で、そうした気持ちが出てくる原因として、以下の2点が共通していました。

・ 「今学んでいることと、前に習ったこととの間に、どんなつながりがあるのか?」を意識しながら問題を解けていないという点

・ 「前に習った単元においては、何をどう考えて答を出せば〇がもらえたのか?」を思い出しながら問題を解けていないという点

1つ目は、算数・数学を学んでいく上では致命的なことですが、前に習ったことが結果として、今どう活かされているのかが分からなければ、「何のためにこれを学んだのか」といった疑問に対する答が見えなくなります。

前に習ったことを思い出すことの大切さを、他の記事でもお話してきましたが、ここでもまた一つ、具体例を挙げてお話をしていきます。

 例えば長方形の面積を学ぶ際に、まずは正方形の面積がどういう意味を持つものかを学び、長方形が正方形をすきまなく並べてできるものだと考える場面があります。

 そうすると、長方形の面積が「いきなり出てきた新しい概念」ではなく、「正方形の面積という、前に習ったことと結び付くもの」と捉えられます。

ただこのときに、まずは1辺の長さが1㎝の正方形の面積を1㎝^2とすることは、どうしても新しく受け入れなければなりません。

それを受け入れられたら、あとは正方形の面積を使って、あらゆる図形の面積を考えられることが分かれば良いのです。

このことは、「今学んでいることと、前に習ったこととの間に、どんなつながりがあるのか」を意識することの大切さが分かる一つの例です。

さらに、平行四辺形は長方形に変形できることや、三角形は平行四辺形を半分にしたものと考えることなどもまさに、前に出てきたことを出発点として問題と向き合うという考え方が隠れています。

面積の話だけに限らないのですが、「この問題はこう考えて、一方でこの問題は、また別にこう考える」という捉え方ではなく、「この問題は過去に出てきたあの問題とつながっている」という捉え方をすることが大切です。

2つ目は繰り返しになりますが、「何をどう考えて答を出せば〇がもらえたのか?」を思い出せないと、「あのときこんな風に考えたことは、正しかったんだな」という意識を持てません。

結果として「何が正しくて、何が間違いか?」を判断できなくなることにつながります。

算数・数学に苦手意識を持っているお子さんは、まずは問題を解くときに、以下に書く三つを思い出しながら問題と向き合えると、成績アップにつながるきっかけが生まれるはずです。

・「過去に似た問題を解いたことがなかったか」

・「解いたことがあれば、そのときどう考えて解いたのか」

・「その考え方で解いて正解をもらえたかどうか」

「自分で考える」ということの本当の意味

「円の面積を求めること」の一例からも分かるように、算数・数学の問題を解いていくプロセスにおいては、「自分で考えること」というのは、自分なりの考え方で勝手に問題を解くということなどでは、決してありません。

確かに、小学生・中学生の時点ではまだ、「円の面積はこうして求めることができるんだ」という結果論を渡された上で、その公式を適切に (公式の立式などで間違えることなく) 使えるかどうかしか、問われてはいないのです。

しかし「前に円の面積を求めたときに、この公式を使うことは正しかったかどうかを判断する」という意味で、「自分で考える」という場面があります。

他にも算数の問題であれば、比の値や分数・割合を「線分の長さの比」で表す見方・捉え方が出てきますが、そのときには、そもそも「こういった見方・捉え方をすることは合っているのか」を判断する場面が出てきます。

中学以降の数学ではますます、「この問題をこうして解くことは、正しいことなのかどうか」「正しいと言えるのであれば、その理由は何か?」といったことを考える場面が増えます。

まとめると、自分で考えることというのは、「問題との向き合い方や考え方に対して、それが正しいことなのかどうかを、前に学んだことを思い出しながら判断すること」であると言うことができます。

予習は復習の繰り返し!

前の節では、「過去にどう考えたのかを思い出しながら、問題の正解を出そうとしていくこと」が大切であることをお話しました。

結果としてそれは、算数・数学においては、いくら新しい分野単元を学ぶことになろうとも、「前に出てきた結果や考え方を使い回しつつ、問題を解くこと」が、学び方の基本になります。

そのことはつまり、ほぼ常に復習している状態と言っても言い過ぎではありません。

復習に対して予習というと、「今までになかった新しい知識を覚えること」などと捉えられがちですが、そうではありません。

算数・数学においては特に、「過去に学んだことがらに対して新しい視点を加えて、それを受け入れること」が、予習するという意味にふさわしいと考えられます。

一つ例を挙げると、小学校で習う比例・反比例の考え方から、中学以降に出てくる「関数」の概念を習うことが、「過去に学んだことがらに、新しい視点を加えること」をよく再現していると言えます。

算数では、例えば以下のような実例から、比例の考え方を受け入れる場面があるかと思います。

・円の直径を2倍、3倍にすると、それに伴って円周の長さも2倍、3倍になる

・一定の速さで歩くと、10分間歩いたときの距離は、5分間歩いたときの距離の2倍になっている

ところが、中学からは、上に書いたようなことがらに対して、 「ある値を一つ決めると、それに対応して別の値が一つ決まる」といった見方を受け入れるところから、関数の概念を学ぶのです。

つまり、中学以降は、上に書いた実例に対して、このような見方を受け入れることが求められます。

・円の直径を一つ決めると、円周の長さも一つ決まる

・時間を一つ決めると、距離も一つ決まる

この例から分かることは、「関数」という新しい概念を予習することになったとき、それは、ただただ「関数の単元で出てくる問題とその解き方を新しく覚える」などということではないのです。

あくまでも大事なのは、今までに習ったことに対して、「数と数が1対1に対応する」という視点を加えるということなのです。

ちなみにですが、数学においては、問題の解き方などを覚える以前に、「関数の概念」を受け入れることができていないと、そもそもその解き方などを、他の問題を解くときに使えるようにはなり得ません。

新しく出てきた概念を受け入れる際には、必ずといって良いほど「過去に習ったことを振り返る場面」があります。

納得の仕方は人それぞれ

最後に一つ、個人的に面白いと思ったことについて、お話していきます。

先ほど、合っているのかそうでないのかを、前に習ったことと照らし合わせて判断するというお話をしました。

少しおさらいすると、「前にこう考えて、こんなやり方で答を出したら正解できた」という経験を、思い出せることが大切なのです。

これに関するお話で、一つだけ、個人的に疑問として湧いてきたのが、もしかすると「自分が考えていることが、合っているかどうかを判断する材料」というのは、人それぞれ違うのではないかということでした。

この疑問が、それこそ「合っているかどうか」を確かめてみるべく、知り合いの人にこんな質問を投げかけてみたのです。

「1+1=2が合っているかどうかって、どう確かめてる?また、その確かめ方に、納得はできている?」

私の中にも、いくつか確かめ方はあり、どの確かめ方に対しても「あぁ、言われてみればそうだな」と納得できるものしかないのですが、私が質問を投げた相手の人は、私の「納得の仕方」を受け入れられないと言ったのです。

知り合いが受け入れられないといった、その一つの例が「そもそもみかんを一つだと思えない」というものだったのです。

どういうことかというと、私としては、「皮をむいていないみかん1個」を1と考えて、それが2つあたら「1+1=2」を表す立派な例だと「思い込んでいた」のですが、その知り合いは全く違う意見をぶつけてきたのです。

その人は、「みかんって、皮をむいたら中身が8個だったり10個だたりするじゃないですか。そんなものを1と考えることって、合ってない気がするんですよ」と私に言ってきたのです。

そのとき私は、「1+1=2」という実例さえ、それが合っているかどうかを受け入れるための、あるいは納得できるための判断材料が、人によって全く違うということに改めて気がつきました。

このことから分かるのは、算数・数学の問題においては特に、問題の解き方などよりも、そもそも与えられた問題文、計算式、図形などをどう認識するかが、正解を導き出せるかどうかの一つのカギになるということです。

その認識が正しいかどうかの確かめ方が、そもそも人によってそれぞれ違うということは、面白いことでもあるのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。実際に私が生徒さんを見ている中で、生徒さんがミスをしていると言えることもあれば、そうではなくて勘違いや思い込みがあるまま問題を解いた結果、答が違っているということがあります。

また、答が合っていたとしても、問題を解くプロセスにおいて、本来の見方・捉え方とは全く違ったものの見方をしているにもかかわらず、たまたま答が合っているだけになってしまっていることもあります。

そういったことは、生徒さんに問題をどう解いたのか、与えられた図形をどう見ているのかを聴いてみることで、明らかになります。

あるいは、問題文に書いてあることを、図として描いてもらうことでも分かります。

私が生徒さんとのコーチングを通して見えてきたのは、「計算ミスやケアレスミスというものは存在しない」ということです。

生徒さんの答が違っていたとき、どうすれば正解できたのかを共に考える場面がありますが、その場面において、生徒さんはよく「計算ミスがなければ良い」ということを口にします。

ところが、別の記事でもお伝えしてきた通り、「見間違いや書き間違い」が問題を解くプロセスで起きていた結果、計算して出てきた答が違っているということがよくあります。

またそれらとは別に、図から式を立てる場面で、本来書きたかったこととは別のことを書いているということも、十分にあり得ます。

もちろん、本当に見間違いなどがないかどうかを、確かめ忘れたという意味で「ケアレス」と言えることもあるかもしれません。

しかし、「確かめ方」をそもそも知らなかったとしたら、それは「ケアレス」などではなく、正誤判断の方法を身に付けられていないという意味で、知識不足ということになります。

算数・数学ではとにかく、問題文を読み、そこから図を描く場面や、式を立ててその式を変形していく場面など、「本当に自分がしていることは、合っているのかどうか」を確かめる場面がいくつもあります。

その場面において、合っているかどうかを、過去の分野単元とも関連させて判断することが、「自分で考えること」であります。

そして、「合っていると判断できる実例を思い出すこと」は、結果として「自分にはこうしたことが理解できている」という意識を受け入れることにつながります。

算数・数学においてはどうしても、「できないこと」ではなくて、「今自分ができていること」に目を向けて、それらにどんな視点を付け加えていくと、何ができるようになるのかを見つけ出していくことが大切になってきます。

お子さんの算数の勉強にご不安がある親御さんは、お子さんにとっての「今できていること」を見つけられると、算数の成績を上げるきっかけを、見出せるようになってくるはずです。

ぜひ、お子さんの中にある「自分ができること」を見つけてあげて下さい。

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